LOGIN森を通り野原を通り、カルム村に到着したときには夜も深くなっていた。鎧の内の肌着は未だ濡れており、刺すような冷気が鋭い切っ先となって肌に突き刺さる。その痛みを伴いながら辿り着いた村の入り口。その前に立ち塞がる、長鎗を携えた見知らぬ女性。背まである栗毛に柔和なその顔立ち。茶色い外套だけが、彼女を外敵ではないことを知覚させる。
「貴女が騎士様ですか」
棘のある、しかし不思議と皮肉な響きのない声色。
「はい、その通りです。あなたは?」
「……自警団のリーデと申します。お見知り置きを」そう言って、頷くほどの小さな礼をした。額から離れた前髪が、力なく揺れている。
先日ここにいた、双剣の彼女が言った台詞を思い返す。曰く、自分ともう一人でここを護ってきたのだと。そのもう一人は巨躯の彼であることが判明している。つまり長鎗の彼女がここに立っているということは、現在何かしらの事情が発生しているかもしれないということだ。 仮にあの二人のどちらかが門番に立てない理由が出来たのなら、「きーしーさーまー!」 扉を開けた途端、そんな大声が辺りいっぱいに炸裂した。なんとなく予感はしていたが、店主ほどではないにしろ予想以上のロラの声。そしてその後ろで、長鎗の彼女が結んだままの唇にかすかに笑みを浮かべている。「ロラ、もう夜も遅いので」 その言葉に一瞬、擦り傷を触られたように顔をしかめる。しかしすぐに唇を尖らせて拗ねたような表情を浮かべると、突然私の腕を掴み家の中に引きずり込んで扉を閉めた。「でも! でも! 心配したんだよ?」 ロラの顔を見たのは一昨日、店主に事を依頼されて以来となる。確かに、居候の者が丸一日以上帰ってこなければどうしたのかと思うのは道理だ。私でさえ同感である。もし理由が伝わっていないのなら、その不安はさらに増す。 そういった点で言えば後ろめたい気もする。ただ、出会って四日しか経っていないのだ。この私に対して少し大袈裟ではないか、とも思う。 ロラはひとしきり刺し貫くほど私を睨めつけておいて、やがて草のような息をひとつ吐いた。「心配したんだから」「……申し訳ありません」 その言葉に、またむっとして私の額から鼻にかけた辺りを目でむちうつ。私を心配してくれたとして、何に対してなのか。それに、心配された経験がほとんどないのだ。 まだ、その言葉には慣れていない。「まあまあロラさん、その辺で」 長鎗の彼女が宥める風に言うと、その鋭かった感情が次第に溶けていく。そうしてロラはふうと一息入れたあと、木製の肘掛け椅子に背中を押し付けるようにして座った。 弁解するなら、タイミングが悪かったと言うしかない。不在の間にタイミング悪く野盗が来てしまった。いわば不可抗力である。ただそれに対し何か言うでもないし、私はロラの文句に反論する気もない。「理由は聞いたけどさぁ」 今日何度目かの唇の尖り。「だったら尚更騎士様別に悪くないじゃん」「可能性がある限りは仕方ないことなのです」 そうだけどさ。 言ってロラは台所に移動すると、そのまま鍋に火をかけた。指を
「ウチに泊まってもらうのと何か違うのか」 いましも胸に沸いた疑問を村長は口にした。たしかに、それなら手間が掛かる分この家で夜を明かしたほうが手っ取り早い気がする。「私がロラさんの家に行きたいからです」 さも当然かのように長鎗の彼女は返す。「じゃあしゃあねぇな」 力のない笑みを浮かべながら、頭をかく。娘だからだろうか、先ほどから彼女に対しあまり強く出ていないように見える。もしかしたら普段もそうなのだろうか。よく考えなくとも、村長が控えめに出る必要性はない。 それに室内の面子が言うことはなかった。まあ友人の家に泊まりに行く、そんなニュアンスの話に対し、真面目に意見することなどないと思うが。やれやれ、そんなふうに彼らは笑う。 もちろん私にからも特に言うことはない。口をつむぎ間を置くと、すぐさま長鎗の彼女は「ではそのようにしましょう」という言葉を投げた。 ふと。彼女の言葉は随分と重要視されるのだなと思う。村長の娘という立場からなのか、それともよほどこの村では信用されているのか。彼女以外の面子は父である村長と同年代、或いはそれ以上と見受けられる。私のこれまでの経験上、団体の場合どうしても年長者の意見が尊重されやすい印象だ。その中で、彼女は蔑ろにされず、むしろ会議の進行役としてさらに意見も述べているのだ。これは年長者からしても、また若者としても簡単なことではない。少なくとも、私には至れない。 なんて考えていると、いつの間にか会議は解散という流れになっていた。椅子に座っていた面々は立ち上がり、さあ帰ろうという風。「明日は……そうだな。リーデ、そのまま騎士殿と朝番を頼めるか」 分かりました。言いながら、長鎗の彼女は私の方をちらりと見た。それに、私は同意するよう頷く。ここで、早朝に呼ばれる可能性も消えた。いや、朝の番がどれほど早いかにもよるが。「おし、じゃあ今日のところは解散にするか」 その言葉をきっかけに、会議の面子はぽつぽつと帰宅を始めた。なかには「お疲れ」と労う言葉もあったが、大体はさっと踵を返すか、村長と少し会話を交わして帰路につくという感じである。そも
村長の家の着くと、既に昨夜の面子が顔を揃えて待っていた。それに村長の横に立つ長鎗の彼女。すらりと立ち姿に腹部の前で手を組んだ姿は、先日列車で出会った彼女を想起させる。「戻りました」 言うと、村長は椅子から立ち上がった。「おう騎士殿、お疲れさん。じゃあぼちぼち始めるとするか」 流れから会議だろうか、それとも詰問だろうか。先ほどまでずっと自警団と共にいたため、正直なところこれ以上私に尋問する必要はないように思う。「私はあまり必要とは思いませんが」 吐き出すような、語尾に力を入れたはっきりとした彼女の喋り方。「俺もいらねぇと思うぜ。だがラヴァーグがうるさいからな」 からからと言う。冗談のつもりだろう。しかし、副村長本人の目は冷たく鈍く魚のよう。窘める意味だとは思うが、どうやらあまり自分への冗談を聞き流すタイプではないらしい。「私としては、これ以上騎士様を疑うのは得策とは思えません」 手は横に、まるで兵のような気をつけで。 私としてもその心当たりがない以上同意なのだが、悪事などいくらでもでっち上げられる。例えば物を盗んだ場合。例えば暴力を加えた場合。相手が複数人のであるならはいくらでも押し付けられる。そして、それは覆る可能性は少ない。 副村長の目は、白髪を貶す兵士達と同じように感じる。「どうだろうね、確証を得られないんじゃね」 狡そうな目を光らせてろくろを回す。「それについてですが。……申し訳ないのですが、ロラさんの家に置いてある荷物を調べさせて頂きました」 言って、ちらりと刺すような私への視線。 別に変った物は入っていない。それに、そもそも荷物を調べられることには慣れている。そのため、特に荷物を探られたことに対して思うことはなかった。 私は長鎗の彼女の視線に対し、頷くことで答える。「怪しい物は特に何もありませんでした。大量の着替えと保存食くらいでしょうか。それに…何かを拭くための布、恐らく武器かと」 間違いはない。
「はい、その通りです」「これはブリジットさんが製造してくれたものです。詳しくは彼女に聞くのがよろしいかと」 なるほど。持ち主が説明してくれるほうが手っ取り早いとも思うが、間違いではない。たしかに、製造主が一番、創造物のことを知っているはずだ。鍛冶屋には用があるため、そのときに詳しく聞くのがいいだろう。見せびらかされた物を欲しがる幼児のようだが、しかしあれが何なのか知りたいのは否定出来ない。巨蜴の魔獣を一撃で追い払ったのは、事実なのだから。あれが魔獣を退かせる方法になるのなら、騎士としては今後とても効率的だ。 そういえば、彼女のもとへはいつ行けばいいのか。優先は出来ないと言っていたことから、恐らく他の製造もあるのだろう。そもそも剣とはどれくらいの期間で一つ出来上がるのか私には分からない。出来上がった際には声を掛けに来るのだろうか。 いや、ロラとのやり取りを見るにあまりそのようには見えない。鍛冶場にて立て掛けてあった武器達を思い出す。武器は完成したから、あとはそっちから来い。思い返せば、武器達がそう言っていた気もする。そう考えると、やはり日を空けてこちらから出向くのが手っ取り早いか。 ……決めると、そこで思考を終えた。長鎗の彼女が念のため周囲を見回ると言ったためだ。本来なら自分がやるべきなのだろうが、しかし私は監視下にある状態である。先ほどの巨蜴や、未知の何かに襲撃される可能性もあるだろう。強い武具を持とうとも、彼女自身の力量がどの程度なのか、私は知らない。ただそこは、彼女自身の力量で何とかしてもらうしかない。 長鎗の彼女は私に一瞥をくれた後、そうしてその場を離れた。その視線には「お前は黙って門番の役目をこなせ」と言わんばかりの含みが込められているように感じる。 余計なことを考えず粛々と。 それだけを私に求めている。 その通り、だが、別に私はこの村の指揮下に入ったわけではない。私の任はあくまでカルム村の守護であり、村の一員になれという命令ではなかったはず。 ただ現状どうだろう。 ここに来て、そして双剣の彼女の試験を受けてから、私は誰かからの指示のもと行動している。別に不満があるわけではない。命令を受けて
視線の先にいたのは、果たして巨大なトカゲであった。大きさは先日の狼と同程度と言っても間違えではないだろう。全身を青黒い鱗に包み、下顎からは突出した牙がそびえ立つ。鋭い剛爪を携えた前足から放たれる一撃は、容易に人の命を奪えるだろう。ひと目見ただけで分かる、村の脅威となる存在。今まで気配を感じなかったことや姿の凶悪さから、魔獣に位置する存在と言って差し支えないはずだ。 恐らくは野盗とは関係のない、この近辺に生息する魔獣。野盗の中に魔獣を操れる魔法使いがいるなら話は違うが、だとするならもっと前に襲われているはずだ。徘徊性の魔獣なのかもしれない。火のような巨蜴の魔獣の瞳は、奥様を刺し抜くほど睨めつけている。確かに、もし魔獣が捕食を目的としているなら、この中で一番抵抗力のない者は奥様だ。「奥様、村の中へお願いします」 勧告すると、身を返して去って行く。すぐさま反応して離脱出来る一般市民はなかなかいるものではない。が、巨蜴の魔獣はそれにすぐさま反応して地を這うようにして追いかける素振りを見せた。対して、即座に地面へ向けて大剣を叩きつけることで進路方向を遮る。 巨蜴の魔獣は脚を止め、今にも切れそうな目つきで私を睨みつけた。「シメオン様、この村はこんなにも毎日のように脅威に脅かされているのですか」 問うと、杖術の彼はその質問を払いのけるように頭を振って否定した。恐らくは本当だろう。もし本当に普段から外敵の脅威に襲われているのなら、そもそもヤグラが出来てからでいい、なんて流暢なことを言っている場合ではないのだ。 巨狼に半蛇、それに野盗と目の前の巨蜴。なんて、タイミングの悪いときに着任してしまったのだろう。 ただ、脅威は常にやってくる可能性がある。現にいまは、目の前の巨蜴の魔獣に対処しなければならない。捕食の邪魔をした私を腹立たし気に見ていた魔獣が、その躰を完全にこちらへ向ける。どうやら標的を私へと変更したらしい。そのままその頑強な爪による一撃を、私目掛けて振り下ろす。揮われた爪撃は、しかし大剣を盾にするようにして防ぐ。 途端、鼓膜を襲う金属的な音。それはその一撃が、この鉄塊に相当する威力であることを示している。しかしその間に、杖術の彼は既に動
交代の者は昼を告げる、歌うたいの声と共に現れた。記憶の中を掻き探すが、やって来た彼は初見である。赤茶の波打つ豊かな髪を、項のところでまとめているその者。内側から肉を削り取られたように凹んだ頬に、何か遠くの物を見つめているような、少しぼんやりとした目つき。手には装飾の施された杖が握られていることから、恐らくは杖術を用いるのだろうと推測出来る。魔法使いとも取れるが、ロラや風使いの彼女を見るにどうやら魔法に杖は必要ないらしい。 杖術の彼は姿勢が悪く、獣みたく背中を丸めていた。「お初にお目にかかります。騎士のエメ・アヴィアージュと申します」 あまり言葉を交わしたくないのか、頭を軽く下げ、それきりだ。どちらにせよ、何も言ってくれないのは不便である。 そう思っていると、彼はおもむろに杖で何かを地面に刻み始めた。杖を走らせるごとに鳴る、がりがりという音。地面の固さから、もし持ち手が木製であったら刻むのは難しいだろう。そうして地面に書かれたのは、果たして「シメオン」という文字であった。親指を立てて自分を指し示していることから、恐らくは自分の名前だ。「シメオン、様」 確認するように、言う。対して彼は一度だけ点頭し、今刻んだばかりの自分の名前を足で消した。そしてヤグラの骨組みに体を投げつけるように腰かける。 それきり、杖術の彼は沈黙してしまった。 改めて彼を見てみると、茶色い外套で覆い隠してはいるがその身はだいぶ痩せ細っている。その身で杖を揮うとなると、威力には些か疑問が浮かぶ。 兵士時代のことを思い出すに、杖術を用いる者に会うのは稀だ。私も訓練の際に教官が使用しているのを見たことがあるだけで、実際の戦争で対面したことはない。その気になれば出来るのだろうが、杖術は人を殺すことに向いているわけではない。殺さずに制圧することには長けていそうだが、戦場でそれが必要になる場面は記憶にあるかぎりなかった。 杖術の彼も、そういったつもりでいるだろう。一人でも捕らえることが出来れば、尋問なり何なりして根城の場所を吐かせる。不殺を意識しているということはそういうことだ。略奪が目的なのか、或いはただの偵察なのかは分からないが、村に脅威を与えている以上、例え命のや







